第11話「需要創造とのつきあい 環境教育の弱かった部分」

環境教育の重要な課題であり、弱かった部分

需要創造とどうつきあうか、このことは、環境教育の重要な課題だと思います。なぜなら、企業は新たな需要を掘り起こそうと常に市場に働きかけています。企業のミッションはより多くの利益をあげることですから、そのことを全く否定することはできません。それでもなぜ「環境教育の重要な課題」なのかですが、新たな需要創造によって、失われるものもあれば、新たな問題が生まれることもあります。それらを全く見過ごすわけにはいかないからです。

しかし、新たな商品やサービスの提供側の多くは、「消費者ニーズ」という言葉を用い、「需要を創りだしたのではなく、消費者が求めるものを提供している」と説明します。気付けば、次々と新たな環境負荷のタネが生み出されてきたわけです。ですが、果たして本当に消費者ニーズによって生まれた商品やサービスか、企業側の都合によって生み出されたものか、また、仮に消費者ニーズによって生まれた商品やサービスであっても、それによってどのような問題が起きているか、それらを見極める目を育むことは、環境教育の重要な課題だと言いたいのです。合わせて、環境教育の弱かった部分でもあると思います。

緑茶飲料を例に、消費者ニーズと需要創造を考える

企業側の都合によって生み出された需要創造か、消費者ニーズを反映させて生まれた商品やサービスか、個々の商品によって違うでしょうし、仮に需要創造に生まれた商品であっても、すでに広く市民に受け入れられ、人々の暮らしを豊かにしている商品であれば、今さらどうのこうの言うべきものでもないかと思います。ただし、その商品が広まることによって、何か問題が生まれているのであれば、話は別です。

前回、緑茶飲料の消費拡大を「需要創造の成功例」として紹介しました。合わせて「消費者ニーズによって生まれた商品でもない」と書きました。下の図はそのことをよく物語っています。
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前回の説明と重なりますが、1985年、初の缶入り煎茶が発売されました。当時の私は一消費者として「お茶を100円も出して買う人いるの? そんな高いものを買える身分になりたいわ」とつぶやいたものでした。

「清涼飲料統計」に「緑茶飲料」というカテゴリーが設けられたのは1990年度のことです。発売から5年経った1990年でも、市場は低い反応しか示していませんでした。前回の私の感想は、よく通信販売などで表記される「個人の感想です」のような書き方をしましたが、図を見ていただくと、決して「個人の感想」ではないことがおわかりいただけると思います。実際、当時を知る人たちにその時のことを尋ねると、多くの人が私と同じような感想を抱いたと証言してくれます。

「需要を創造の成功」に至るまで

一方、飲料メーカーも手をこまねいていたわけではありません。有名俳優を用いたCMをはじめ、販促キャンペーンや新製品の投入など、あきらめずに市場に働き続けました。1996年に500ml以下のペットボトルの自主規制が解除され、それから数年を経て、「健康志向」などが追い風となり、清涼飲料の中でも売上上位を占める商品へと成長していきました。

商品の発売から市場が高く反応するまで、10数年を要しています。長い期間は要していますが、ビジネスという側面から見れば、「需要を創出した成功例」と言えます。ただ、もう一度確認したいのは、緑茶飲料が誕生した当時の反応と、市場に受け入れられるまでの期間を考えると、「消費者が求めたニーズによって、生まれた商品」ではなく、企業によるマーケティングによって生まれ、様々な働きかけによって創出した「需要」によって成長した商品だということです*1。グラフはそのことを示しています。
経緯はとにかく、緑茶飲料は今では多くの人に利用されています。しかし、それによって何が失われ、社会にどのような負担が生まれたか、将来それがどのような影響をもたらすか、このことも見過ごしにはできません。

*1 そもそも「需要を創出する」など、簡単にできるものではありません。背景には広告会社などによる市場への「働きかけ」があるわけですが、その過程にある長時間、非人道的労働が2015年秋社会問題になりました。

需要創造の影で失われたもの、新たな問題

京都市ごみ減量推進会議が開設・運営する「リーフ茶の普及で、ペットボトルを減らそうキャンペーンサイト」には、「リーフ茶(茶葉から淹れた茶)の利用が減り、売れるのはペットボトル緑茶ばかりになり、お茶の淹れ方を知らない人や、お茶を淹れたことがない人が現われている」ことなどを紹介しました。「売れるのはペットボトル緑茶ばかり」ということは、生産農家から見れば、安い茶葉しか売れないことでもあります。ペットボトル緑茶が売れ始めた当初は、「今まで売れなかった三番茶や四番茶が売れるようになり、ありがたいと言っている農家もある」などという人もいましたが、それでは、いずれ手入れした良質な茶葉が売れなくなります。茶葉が売れなくなれば、茶器も売れなくなります。
2015年度、緑茶飲料の95.5%がペットボトルで販売されていることから*2、ペットボトルリサイクルにも眼を広げると、今も多い放置ボトルの問題や、海外に頼ったリサイクル、リサイクルのための社会的費用の拡大といった問題などもあります。

どこまでを「問題」として捉えるかは、人により、立場により違いますが、放置ボトルを回収しているボランティアの奮闘や、リサイクルのための社会的費用など、ペットボトル商品の販売事業は、経済学で言うところの「外部化」「外部不経済」に支えられ成り立っているわけです。

*2 2015年販売された緑茶飲料の95.5%がペットボトル入り商品(容量ベース)。清涼水関係統計資料2015年版、(一社)全国清涼飲料工業会

環境教育の弱点

このように書くと、「緑茶飲料やペットボトルリサイクルをやり玉にあげている」と思われる方もあると思います。ここに書いたことは1つの例です。「企業は需要創造のため、常に市場に働きかけをしている」わけで、それとどのようにつきあうか、環境教育が弱かった部分がここにあるわけです。はじめに書いたように、需要創造を全く否定することはできませんが、それによって「外部不経済」が生まれ、社会的な負担が拡大しているなら見過ごしにはできません。

「外部不経済」が生み出した最たるものが公害です。影響の大きさは違いますが、ごみ問題も「外部不経済」と深い関係があります。しかし「生業」が関わるだけに難しい問題で、そのため、ここを避けて通る環境教育の実践者もいるように思います。そもそも環境活動全体がおとなしくなっています。例えば「ペットボトルを減らそう」とは言わず「マイボトルを持参しよう」、「レジ袋の削減」と言わず、「買い物袋の持参」など、手段を前に出し、課題を「消費者の心がけ」にとどめてしまい、事業活動とぶつかるのを避けるようになっています。環境活動全体がおとなしくなった分、環境教育も社会課題の深層に切り込めなくなっているように感じます。

気がつけば、社会は非持続的な方向に

気がつけば、コンピニエンスストアは20年で倍近くに増えましたが、店舗数より気になるのが24時間営業店の増加です。1994年50%に満たなかった(47.6%)の24時間営業店が、2014年には86.2%に拡大し、深夜まったく人通りのない地域にも立地するようになりました。今や全国に46,000もの24時間営業のコンビニがある、これも「消費者ニーズ」なのでしょうか。
参考・第7話「コンビニは現在何店あるの? 24時間営業は儲かるの?」
飲料自販機も同様です。人通りのない路地を深夜煌煌と照らす自販機がある一方、「人通りがある」となると、何台もの自販機が並ぶような地域もあります。実際には赤字を出している自販機も数多くあります。ベンダーのセールスに乗って設置したはいいけれど、売上が伸びずもてあましているのでしょう。「消費者ニーズ」とは都合のよい言葉です。
参考・第5回「かつての例え、今はどうなの? 自販機の消費電力は原発の発電量に相当」
 レジ袋も、スーパーでは減っていても、コンビニやドラッグストア、ホームセンターなど流通業態の変化のなか、むしろ増えていると考えられます。野放途にレジ袋を渡している店は、ほぼ口を揃えて「消費者ニーズだから」と言います。
参考・第6回「レジ袋の消費量305億枚」を検証したら、たいへんなことがわかった。」
 身近な生活環境をみても、社会は持続不可能な方向に進んでいます。新たに生まれる環境負荷を「消費者ニーズ」として受け入れてきた結果ではないでしょうか。果たして本当に必要なものか、将来にどのような影響があるか、どのような対策が考えられるか、健全な批判的姿勢をもった人たちを育むことが、環境教育の弱かった部分に感じます。(第11話、了)

 

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