ぶっちゃけ言いますが、日本の環境教育って成功したの?

リサイクルの普及・浸透は環境教育の成果だが

 日本では子どものうちから、分別・リサイクルの大切さを学び、しっかりできるようになる。それは環境教育の成果だろう。でも、使い捨て用品の大量使用は止まらない。しかも次々と新たな「便利なもの」が登場する。
 そこまではいいとしよう。しかし使った後がどうなるか、「リサイクル」の言葉を聞くだけで、その先を考えない人たちを多く生み出してきたのではないか。小学生にとって「リサイクル」はわかりやすい。その後中学、高校と消費者予備軍として成長する際、リサイクルより大切だとされるリデュースやリユースの意義について学び、体感する機会がなく、大学生や社会人になる人が多い。

多くの人のごみ問題・リサイクルの知識・情報は小学生どまり

 2018年度前期、筆者は3大学4クラスでゲスト講師に招いてもらった(京都光華大学,同志社大学,大阪商業大学)。受講した300人強に、「小学校で分別・リサイクルの大切さを学んで以降、中学または高校で,分別後のペットボトルについて,学んだり,調べたことはありますか」という質問をした。結果、6割の学生が「学んだり,調べた経験がない」と答えた。また、「学んだり,調べたが小学校で学んだこととほとんど同じだった」と応えた学生を合わせると,8割近い学生が,この分野では小学校程度の知識・情報で大学生になっていることがわかった。その大半がそのまま社会に出ていると思われる。
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「リサイクルのその先」は、ごみ輸出で成り立っていた

 「リサイクルのその先」は海外への大量輸出で成り立っていた。ペットボトルについても毎年20万トン前後の空き容器が海外(主に中国)に輸出されていた。この量は日本国内で回収されるペットボトルの4割以上になり、半端な量ではない。「どこでリサイクルされても、リサイクルはリサイクル」と言ったいた人もいた。「日本のペットボトルは質が高く、喜んで買ってもらえる」と言う人もいた。問題を見誤っていると言わざるを得ない。

 これに対して私は、「中国でも都市住民を中心に生活水準が高まる。いつまでも海外からのごみ輸入を続けない」と言い続けてきた。昨年7月の中国政府の「海外の資源ごみ輸入停止宣言」は唐突に出たものではない。今世紀に入ってからの中国政府の環境政策をトレースすれば予想がつくことだった。先の「どこでリサイクルされても同じ」と言っていた人は今も同じことを言うのだろうか。6月にはタイも資源ごみ輸入を禁止した。中国の輸入禁止で行き場を失ったごみがタイへ大量に流れ込み、現地で環境汚染を招き、市民らの反発に政府も応えざるをえなくなった。タイにも拒否されれば、次はより貧しい国をターケットにするのだろうか。

 

リサイクルの大切さ」でとどまったのは環境教育の失敗

 日本では、リサイクルの大切さを子どもの頃からしっかり学び、習慣づけてきた。それは「環境教育の成果」だと言った。しかし「リサイクルの普及・浸透」では対応できない状況が生まれている。これまでの環境教育の限界、ぶっちゃけ失敗が露呈しているのではないか。
このことにしっかり向き合い、これからの環境教育、循環型社会、持続可能な社会について考えている環境教育の実践者、研究者がどれだけいるのだろう。間もなく(8月24日から26日)環境教育学会の年次大会が開催される。9月には廃棄物資源循環学会の研究発表会が開催される。私自身も成果発表をするが、できるだけ多くの発表を聴き、この問題に向き合おうとする人を見出したいと思う。

 

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